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雑記帳

コロナ禍で見直す人間関係

コロナ禍で見直す人間関係
hitorijikan

コロナウイルスによって、間接的ですが職を失いました。

今の場所に引越して来るときに、人間関係の断捨離をし、本格的なアラフォーぼっちになり、インドア派なので、仕事の以外の不自由は特になく、メディアで

「飲みに行けないのが辛い」
「学校の友達に会いたい」
「旅行に行きたい」

など、街の声を聞いていると「みんなリア充なんだなー」なんて思ったりしています。おそらく、そういう人しか取り上げられていないのでしょうが。

先日、昔の飲み仲間からLINEが来ました。

『久しぶり!飲み行こうよー』

遊びまわっていた頃は、週に3回は朝まで飲んでいた子です。都内のバルで飲むワインやシャンパンは今でも大好きですが、緊急事態宣言中なのでお断りしました。すると

『田舎引っ越して変わったねー』

そうなのか?田舎に引っ越したせいなのか?

20代そこそこのアホ全開だったときなら、間違いなく『コロナ上等!』(←この辺りが古い)と政府の呼びかけも、毎日増えていく感染者数も関係なく遊びに行っていたと思いますが、30代も半ばになり、後悔して、反省して、少しでもまともになろうと生活を変えた今は、自分が感染したくないのもあるけれど、ひとりひとりの行動が明日の感染者を減らし、医療従事者の負荷を減らし、日常を取り戻すことができるのだと考えたりします。

コロナ禍で政治や経済にもまともに目を向けるようになりました。

私の1度目の転機は、死の淵から這い上がり、障害者になったときでした。2度目は、もう歩けないと言われていたのに、ハイヒールで一歩足が出たとき。3度目は都会を離れたとき。

人は、少なくとも私は逆境に立たされないと変われません。そして、人の本性や本質は逆境に立たされたときに現れます。

コロナ禍でどんな行動をするのか、今の状況をどう考えるのか。パンデミック下に現れう行動が理解できるか否かが人間関係を続けられる人か、そうでないかなのかなと思います。

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ayuco
アラフィフ独身ライフを楽しむ管理人です。
1958年式のビートル青カブトと猫のエド様をこよなく愛しています。
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